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Brestskaya krepost ブレスト要塞大攻防戦

ベラルーシ・ロシア映画 (2010)

アレクセイ・コパショフ(Aleksey Kopashov)が物語の進行役を務める本格的な戦争映画。1842年にロシア帝国によって築かれたブレスト要塞は、中央の島に中核のシタデルを配し、その後、第一次世界大戦までの間に順次拡大された直径1.8キロほどの大型の星型城塞〔函館の五稜郭は直径約0.5キロ〕。南東には軍の病院のあるヴォリンスク地区、北東には東要塞のあるコブリンスク地区、南西には1939年からジダーノフ中尉が拡張したテレスポール地区がある。それぞれを守るのは、ヴォリンスク地区との境界に位置するホルムスク門がフォーミン大佐、東要塞に籠るのがガブリロフ少佐、テレスポール門の近くの建物内に位置するのがキジェワトフ上級中尉。この3人は実在の将校で、映画はその戦いぶりを可能な限り忠実に描いている。そして、これら3人をつなぐのが音楽小隊に属する支援学生サーシュカ。実在の15歳の少年兵Petya Klypaをモデルにし、映画らしく膨らませて人物像が作られている。映画のメイン・テーマは、ナチスドイツの対ソ奇襲攻撃「バルバロッサ作戦」を受け、不意打ちを食いながら死に物狂いで抵抗した赤軍の絶望的な奮戦ぶりを描くことにある。CGに頼らない実戦さながらの迫力は、さすがロシアの戦争映画らしい。それにもかかわらず、タイトルの後に出てくる主演俳優の最初の俳優名は何とアレクセイ・コパショフ。出演時13-14歳の少年〔誕生日は1995年8月20日、撮影は2009年7-10月〕を、大掛かりな戦争大作の主演トップにもってくるのは極めて異例の扱いだ。アレクセイ・コパショフは、3箇所に分かれて行われる抗戦同士をつなぎ、さらに、極限状態の中での淡い恋の当事者でもあり、映画の「紡ぎ手」としての重要性を買われた結果であろう。話変わるが、こんな大作の予算が、当時の円換算で僅か4-7億円とは信じられない。

1941年6月22日の夜明け前、ドイツ空軍はブレスト要塞に激しい爆撃を加え、それが終わると8000人の将兵と妻子が住むブレスト要塞に約2万のドイツ兵が3方から襲いかかった。不意をつかれた赤軍は、その場に居合わせた最高位の将校が指揮をとる形で3つ(最初だけ4つ)の拠点が形成された。一番の主力がユダヤ系のフォーミン大佐が指揮するホルムスク門の部隊で、無線、機関銃を擁し、兵数も最多、後で、ヴォリンスクの軍隊病院にいた軍医も加わっている。この部隊は、ホルムスク門前の橋の防衛戦がメイン。2番目は、コブリンスク地区の兵士を集めて東要塞に陣取ったガブリロフ少佐。戦意は強く大尉も2人いるが、兵器が少ない。野原のようなコブリンスク地区での対戦車戦がメイン。3番目は、第9国境守備連隊の兵舎でたまたま最高位だったキジェワトフ上級中尉の隊。シタデルでの戦闘がメイン。こうした戦闘の合間を縫って、1日目、サーシュカは自分の受け持ちの楽器チューバを使い、少佐が動転する兵士をまとめるのに一役買った後、一度自分の家に戻って危うくドイツ軍に殺されかける。2日目の23日は、降伏する兵士にまぎれて上級中尉の部隊に逃げ込み、アーニャが行方不明になっていると聞かされ、こっそり捜しに出かけ、大佐の部隊に紛れ込む。3日目の24日はサーシュカが一番活躍する。大佐の「今夜の総攻撃案」の他の2隊への伝令役を申し出るが当然断られ、また抜け出す。そこで激しい空襲に遭い、瀕死の伝令の1人から任務の代行を頼まれる。その途中でアーニャの無事を確かめ(ドイツ兵を1人射殺する)、夜陰にまぎれて川を渡り少佐に伝言を届ける。しかし、25日の深夜2時に挙行された総攻撃は3部隊とも敗北。ドイツ軍の降伏勧告のアナウンスが流れる中、上級中尉は自分の部隊の地下に匿っていた妻子他の婦女子全員に降伏を命じる。そこに現れたサーシュカとアーニャ。上級中尉は死んだと諦めていたアーニャを抱き締め、サーシュカに託す。26日には、降伏しなかった兵士に対し、当時最大級の2トン爆弾が投下され、戦車や火炎放射器による掃討も始まる。絶望的な状況下で各部隊は解体。上級中尉の最期の場面には、逃げ戻ってきたサーシュカが登場。連隊旗を託され、そしてまた脱出する。決して肉体的には強くない少年だが、生きようとする逞しさが印象的だ。
  

アレクセイ・コパショフは、ごく普通の少年。声変わり前なので幼く見え、ドイツ軍の銃弾をかいくぐって要塞内を移動する姿は可哀想なほど。顔も、埃と汗でどんどん黒くなっていき、怪我も加わり痛々しい。実際には、メイキャップで疲れていないことも分かるが、大変な役柄であることに変わりはない。


あらすじ

映画の冒頭、廃墟となり雪に埋もれたブレスト要塞が映される。現在、ブレスト要塞の跡地は、数少ない残存建物があるだけで、全面的に公園化されている。だから、これらのシーンは大掛かりなセットで作り上げた惨憺たる敗北後の姿である。そしてタイトルの後、画面はいきなり1941年6月21日(土)の日中、市の公園〔要塞のどこか外〕で、演奏に合わせて軍人や市民がダンスをしている場面に移行する。そこに、老年になってからのサーシュカのナレーションが入る。「私は克明に覚えている。市の公園では、いつもの土曜と同じように、皆がダンスにこうじていた」。そしてチューバを吹くサーシュカが映る(1枚目の写真)。「これが私。アキモフ・アレキサンドル」〔ロシアでは日本と同じように姓・名順に言うことが多い〕。「第333連隊の音楽小隊に属する支援学生。私の両親は1937年にスペインで殺された」〔スペイン内戦で、ソ連は人民戦線軍を支援した〕。「兄は私に唯一人残された家族」〔階級は砲兵少尉〕。「そして、これがアーニャ。普通の女の子。だが、私にとっては、それ以上の存在だった」(2枚目の写真)。演奏すべきでない場所でチューバを吹いているのを兄に見つかり、サーシュカはそそくさと逃げるが、兄に呼び止められて叱られる。音楽小隊で唯一残っていたので演奏を頼まれたと弁解するが(3枚目の写真)、即刻要塞に戻るよう命じられる。
  
  
  

トラックの荷台に乗ったサーシュカはホルムスク門を通ってシタデルに入る(1枚目の写真)。門をくぐると中には2階建ての建物がずらりと並んでいる。「ここが私の家。私の城塞。とても大きくて、すべてを探検できないほどだ」。この時、トラックは、クラブハウスのある中央の広場に到達する。将来 激戦の行われる場所だ。5分ほど別のシーンが挿入された後で、音楽小隊の建物に入ったサーシュカが、曹長に、兄に見つかったと打ち明ける(2枚目の写真)。なぜ見つかったかと訊かれ、「音を外しました。兄は耳がいいので」。その後、ドイツの進攻を警戒する少佐と、そうした言動を快く思っていない司令部の意見をそれとなく伝える中尉との会話シーンがある。日本版のDVDで一番の誤訳部分だ。時として、中尉の方が乱暴な口をきき、少佐が敬語を使っている。襟章を見れば階級が分かるので、その確認を怠った結果だ。その中で、少佐は、「なあ、中尉、もし奴らが攻撃してきたら、我々はボイラーに閉じ込められたようになる。城塞の中に8000人だ。これだけの人数が北門を通って逃げる時間はない。女子供に老人もいる。家財だってある」〔実際に、北門で大虐殺が行われる〕。2人が分かれるシーンの誤訳が最悪。字幕では、中尉:「君の考えは分かった。話せてよかったよ。だが内密に頼むぞ。君の聴聞会は27日に行う」。少佐:「もういいでしょう? 今から映画が始まる」となっている。正しくは、中尉:「我々の会話は有意義なものでした。ですが、内密にお願いします。あなたの聴聞会は27日に予定されています」。少佐:「もう行かせてくれ、同志中尉。クラブハウスで映画が始まる」。少し脱線したが、この後、映画会のシーン等の後で、上級中尉と妻の会話シーンがある。中尉:「アーニャは病気なのか?」。妻:「『サーシャ・アキモフ』っていう病気。アーニャは恋愛中。そういうものよ、パパさん」〔サーシャはサーシュカの愛称。この場合は、名・姓の順になっている〕。そして、サーシュカとアーニャのシーンに移行する。アーニャ:「釣りに行こうって言ってたでしょ?」。「君の両親が許さないよ」。「みんなが寝たら、そうっと出てくるわ」(3枚目の写真)。
  
  
  

6月22日午前3時58分とのキャプションが入る。ちょうど夏至の日だ。ブレストは北緯52度なので、日の出は4時半頃。だから、3時58分なら、「ほの明かるい」程度。シタデルの南側のテレスポール門の辺り〔推定〕で、2人仲良く並んで座り、川に糸を垂れる(1枚目の写真)。もちろん竿は1本で、2人で握っている。浮きが動いたので竿を振り上げると、何もかかっておらず、浮きが川に突き出た木の幹にかかってしまう。サーシュカが幹ずたいに登っていき、浮きの近くで木にぶら下がって外そうとする。その時、大量の飛行機が近づいてくる音が聞こえ。数機がごく低空を通過していった(2枚目の写真)。そして、爆弾の投下音がし、サーシュカの近くの水面で爆発が起きる(3枚目の写真)。サーシュカは川に落ち、必死で岸まで泳ぐ。そして、2人はそれぞれの家に向かって走っていく。こうして2人は広大な戦場の中で別れ別れに。
  
  
  

空爆のシーンは、迫力満点(1枚目の写真)。サーシュカは、ホルムスク門からシタデルに入り広場の惨状を見る。「私は、戦争を想像していた。しかし、こんな戦争は想像できなかった。誰しも、戦争は覚悟していた。しかし、こんなにも突然やってくるとは思ってもみなかった。感じたのは、底知れぬ恐怖だった」(2枚目の写真)。瓦礫化した煉瓦壁に隠れて爆撃の衝撃を避けるサーシュカ。戦時の際の集合場所に指定された建物も、一発の爆弾で崩壊してしまう(3枚目の写真)。模型やCGによる崩壊映像ではないので、リアル感は凄い。
  
  
  

サーシュカは自分の小隊の建物に入っていく。「私は武器の携帯は許されていなかった。しかし、私には 『私だけ』 の武器があった。使用許可も要らなかった」。サーシュカは何とか楽器置き場に辿り着くと、自分のチューバを手に入れ(1枚目の写真)、爆撃を避けようとピアノの下に隠れる(2枚目の写真)。この時の爆発も凄まじい。だが、1つだけ不自然な点がある。それは、ピアノの下に隠れる前はきれいだったチューバの管に、隠れ場から出てくると大きな穴が開いていたこと〔1つ先のシーンの3枚目の写真参照〕。体で抱いていたチューバに、こんな大きな穴が開くはずがない。
  
  

午前6時30分とのキャプションが入る。ドイツ軍はゴムボートで密かに川を渡り、シタデルへと侵入する(1枚目の写真)。一方、南門からヴォリンスク地区に侵入したドイツ軍は病院を制圧する。北門では、逃げようとした人々を、門外で待ち構えていたドイツ軍が次々と射殺していく(2枚目の写真)。そのコブリンスク地区では、逃げまどう兵士をまとめようと、少佐がサーシュカに、チューバを「吹け」と命じる(3枚目の写真)。その音と、少佐が撃ったピストルでパニックは収まり、少佐は残存兵を集めて東要塞に拠点を設けることに成功する。
  
  
  

その頃、ホルムスク門の司令部に辿り着いた大佐は、指揮を掌握し、橋を渡ってシタデルに侵入しようとするドイツ軍の第1波を阻止する。第9国境守備連隊は、佐官級の将校が誰もいないので上級中尉が指揮をとり、シタデル内の広場での白兵戦に持ち込み、劣勢に立たされたドイツ軍はクラブハウスに逃げ込む。ホルムスク門への第2波の攻撃は、病院の医師・看護婦と傷病兵が人間の盾として利用された。その一団の前に丸腰で両手を挙げて現われた大佐は(1枚目の写真)、ロシア語で「しゃがめ!」と叫ぶと同時に機関銃で攻撃させ、ドイツ軍を撃退することに成功した。そして、病院関係者は、無事、ホルムスク門の地下に隠れることができた。その頃サーシュカは、コブリンスク地区にある自分の家の近くまで来ていた(2枚目の写真)。建物の中に入っていくと、一緒に住んでいたヴァンヤ叔父が重傷を負っている。建物の周りをドイツ兵に囲まれた叔父と叔母夫婦は、サーシュカに逃げるよう言ってから、ピストルで自殺した。その音を、物陰に隠れて聞き、涙ぐむサーシュカ(3枚目の写真)。その後、映画は、東要塞の少佐と、北門から侵入した戦車隊と間の壮絶な戦闘シーンを経て、サーシュカの兄の死亡が描かれる。その際、「こうして、私の兄は死んだ。最初の日に。終わりなき最初の日に」とナレーションが入るが、サーシュカは自分の兄の死をこの時点では知らなかったはずだ。
  
  
  

何がどうなっているか、分からなかった。何をして、どこにいけばいいかも分からなかった。分かっていたことは、ただ一つ。朝まで待たなくてならないこと。朝になれば、援軍が来るから。そうすれば、すべが終わる」。そして、6月23日とのキャプション。朝、死体が散乱するシタデルの広場。死体の腕を枕に、疲れたサーシュカが眠っている(1枚目の写真)。サーシュカが目を覚ますと、ドイツ軍の降伏勧告のアナウンスが聞こえ、白旗を掲げた兵士たちがばらばらと歩いている。サーシュカも、どうしていいか分からず列に入るが、建物に隠れた赤軍の兵士に気付いて窓から入り込む。そこにいたアーニャの父、上級中尉に、「同志中尉、報告させて下さい。第333連隊の音楽小隊に属する支援学生のアキモフ・アレキサンドルです」。子供なので女子供が避難している地下に行くよう命じられる。しかしサーシュカは、「同志中尉、アーニャは?」と訊く。「何だと?」。「アーニャです。帰っていませんか?」(2枚目の写真)。それでも、「地下に連れて行け」としか言われないので、サーシュカはアーニャが戻っていないと思い、「アーニャを捜します」と言って、窓から飛び出して行く。勇敢な少年だ。
  
  

サーシュカは、他の赤軍の部隊にアーニャが保護されていないかと、破壊された建物の中を銃弾をかいくぐってホルムスク門に向かう。途中の映像は、よく死ななかったと思えるほど、迫力に富んでいる。子供の出演する映画とは とても思えない(1・2枚目の写真)。サーシュカは、崩れた煉瓦の山に隠れて弾を避けるが(3枚目の写真)、その時、運よく、落ちていた拳銃を拾うことができた。
  
  
  

サーシュカがホルムスク門に辿り着くと、ちょうど味方の飛行機が1機だけ要塞の偵察に飛来した。しかし、ドイツ軍の戦闘機により撃墜され、パイロットはパラシュートで脱出。大佐の指示でパイロットは無事ホルムスク門に連れてこられた。大佐:「話してくれ? ブレストは一体どうなっている? なぜ空軍は沈黙している? 我々の軍はどこだ?」。それをサーシュカも聞いている(1枚目の写真)。パイロット:「飛行場は 一つも残っていません。すべて破壊されました。ドイツ軍はブレストを占領し、我軍はミンスクまで撤退しました」〔ミンスクはブレストの北東300キロ〕。この話を聞き、援軍が来ないと悟った兵士達は絶望する。一方、状況の分からない東要塞では、少佐が兵士達に向かって、ドイツ軍の降伏勧告は聞くな、「我々は赤軍の兵士だ。命ある限り祖国を守るのだ。他に選択肢はない」と訓示している(2枚目の写真)。
  
  

6月24日とのキャプション。飲料水が底をついてきた。そんな中、サーシュカは、ホルムスク門で目が覚める(1枚目の写真)。一致団結して脱出しようと説く大尉の言葉を受け、大佐も一旦は「即刻の脱出」を考えるが、軍事的に見て損失が大きいと考え「組織立った軍事行動」による突破作戦に変更する。東要塞(少佐)とテレスポール周辺(上級中尉)で抵抗が続いている様子から、3者が連携して深夜に一斉蜂起することで、包囲網を突破する可能性を高める作戦だ。そのためには、2つのグループに連絡する必要がある。大佐は2人の部下に、作戦の伝達を命じるが、それを聞いていたサーシュカが「同志人民委員。僕も行かせて下さい」と頼む(2枚目の写真)。しかし、子供にそんな危険な任務を与えるはずがない。代わりに大佐は、地下にいる病院関係者に貴重な水を持っていくよう命じる。水を持っていったサーシュカは、病院の劣悪な状態に驚く(3枚目の写真)。そして、水をもらえない傷病兵が、「土曜に冷たいミネラル・ウォーターが売店に運ばれてたな」と、うわごとのように言うのを聞き、そこにアーニャが隠れているかもと考え、再び捜しに出て行く。
  
  
  

脱出したサーシュカは、銃弾の飛び交う中を、壁に沿って進む(1枚目の写真)。その時、ドイツ空軍の編隊が襲いかかる。激しい爆撃(2枚目の写真)を、地面の窪みに伏せてひたすら待つサーシュカ。頭から煤と細かな破片が降りかかる。空襲が終わり、手で顔を隠したまま上を向いたサーシュカ(3枚目の写真)。手を外すと、こめかみに怪我をしている。それでも何とか生き残ることができた。
  
  
  

サーシュカは、隠れていた穴から飛び出して一気に走る(2枚目の写真)。途中から、狙撃を恐れて地面を這って進んでいると、突然体をつかまれた。つかんだのは、さっきの伝令の1人。致命傷を負っている。「サーシュカ、俺はもうダメだ。東要塞に行け。仲間がいる。彼らに、今夜の突破作戦のことを伝えるんだ」(2枚目の写真)と頼まれ、「伝えるよ」と答える(3枚目の写真)。「私には何も起こらないと知っていた。命令を伝える使命があるから」。
  
  
  

ちょうどそこは、元売店のあった建物。サーシュカは、敗残兵を捜すドイツ兵の目を逃れるように、中に入り込む。店内に一斉に銃弾が打ち込まれるが、その後で、誰かが咳をしている。よく見ると、それは必死で捜していたアーニャだった。アーニャの元に駆け寄り、そっと頬に手を当てるサーシュカ(1枚目の写真)。いつまでもさすっていたい様子だったが、店にドイツ兵が入って来た。身を潜める2人。ドイツ兵の様子を穴から見つめるサーシュカ(2枚目の写真)。ドイツ兵は2人が隠れているカウンターの中まで入って来て、何かめぼしいものはないかと捜す。ドイツ兵は2人に気付いてしまうが、その瞬間、サーシュカが射殺する(3枚目の写真)。一発で即死するドイツ兵。あちこちで銃声が聞こえるので、幸い他のドイツ兵には疑われずに済んだ。ただ、サーシュカには、引き継いだ使命がある。「アーニャ。君が ここから出て行くのは難しい。だから、ここで待っていて。一緒に連れて行けないんだ。僕には使命がある。遂行しないと。聞いてる?」。言葉は出てこないが、そっと微笑むアーニャ。それを見て、サーシュカも微笑む(4枚目の写真)。少年と少女の戦場での無言の「いたいけな恋」のシーンだ。
  
  
  
  

サーシュカは、アーニャと別れ、通りを渡り(1枚目の写真)、死体の重なる建物内を歩く(2・3枚目の写真)。そして、暗くなってから、枝に身を隠して川を渡り〔背後に見える水しぶきは銃撃によるもの〕(4枚目の写真)、東要塞のあるコブリンスク地区に再潜入した。
  
  
  
  

そして、水が貴重だと分かっていたので、川の近くで撃ち殺された兵士の持っていた「水入りのやかん」を取ると、それを持って東要塞に入って行く(1枚目の写真)。サーシュカは、少佐にやかんを渡すと、「同志少佐。報告致します。第333連隊の音楽小隊に属する支援学生のアキモフ・アレキサンドルです。命令。今夜、合同で突破作戦を実行する。合図は、赤の照明弾」(2枚目の写真)。これだけ言って気を失うサーシュカ(3枚目の写真)。兵士達に受け止められたサーシュカを抱きしめると、少佐は「よくやってくれた、アキモフ」と労う。
  
  
  

6月25日午前1時55分とのキャプション。ホルムスク門では、2時ちょうどに大佐自ら照明弾を打ち上げる。一斉に出撃する兵士達。しかし、ドイツ軍は、それを見越してしたかのように、猛烈な勢いで反撃する。その様子は、大佐、少佐、上級中尉の順に克明に描かれる(1~3枚目の写真)。完全な負け戦(いくさ)だ。赤軍は、もう組織立った抵抗ができないほど、完膚なきまでに打ちのめされた。
  
  
  

サーシュカは、死骸の中を歩いて川に辿り着くと、血にまみれているであろう水をすくって飲む。それではまどろこしいので、顔を水の中に入れて一気に飲もうとするが、あわてて顔を上げる。水の中で、死んだ兵士の顔が、目を開けて見ていたのだ。『ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔』で、死者の沼地を歩いていたフロドが、魅せられるように沼に落ちた時、エルフの顔が水中にあったシーンとよく似ている。ここで水筒に水を汲んだサーシュカは、アーニャが待っているはずの店に向かって、彷徨うように歩いていく。疲労も限界なのだ。ようやく辿り着いた店の中は、半分炎に包まれている。ドイツ軍の最後の降伏勧告が出ているので、「アーニャ」と大声で叫ぶ(1枚目の写真)。炎の中を通ると(2枚目の写真)、そこにアーニャが倒れていた。体を起こそうとするが、気を失っていてなかなか顔が真っ直ぐにならない。サーシュカは、目を閉じたままのアーニャに、「アーニャ、聞こえてる? 行かないと。君の父さんが捜してる。兵舎にいるよ。君を待ってるんだ。行こう」と呼びかける(3枚目の写真)。意識が戻ったアーニャは、水筒の水をむさぼるように飲む。
  
  
  

上級中尉は、地下に匿っていた自分の妻子を含めた女子供を、ドイツ軍の勧告に従い、白旗を掲げて降伏させる(1枚目の写真)。自分は死んでも、妻子だけは生き残って欲しいと思ったからだ〔映画の最後で、その家族も、収容所で殺されたとのナレーションが入るが…〕。一方、サーシュカは、アーニャを半分抱きかかえるように、何とか建物の外に連れ出す(2枚目の写真)。妻子を見送っていて、その姿に気付いた上級大尉は、死んだと思って絶望していたアーニャに向かって飛んでいき、かたく抱きしめる。そして、サーシュカを呼び寄せ、「行くんだ。2人で」と言うが(3枚目の写真)、サーシュカは「軍務があるから、どこにも行きません」と抵抗する。「アキモフ、これは命令だ。聞こえたか? この娘は、お前なしでは行かない。分かるな?」。「はい、同志中尉」。
  
  
  

6月26日午前3時58分とのキャプション。最初に、壁に「俺は死ぬ。だが、降伏はしない。さよなら祖国」と刻んでいる兵士の姿が映される。この言葉は、実際に、今でも城塞に残っている。「最後の手段として、ドイツ軍はブレスト要塞に2トン爆弾を投下した」。1941年の段階では、2トン爆弾は最大級の兵器だった。投下された瞬間、巨大な爆発が起こり(1・2枚目の写真)、それに伴う衝撃波が建物を襲う。そして、その後からシタデル内に乗り込んできた戦車と兵士は、火炎放射により生き残った兵士を焼き殺した(3枚目の写真)。まさに、殲滅作戦だ。
  
  
  

大佐は、ユダヤ人ということで、発見された場所で銃殺された。少佐は、残った少数の部下に感謝の別れを告げ、生き残るよう促した〔7月23日に捕虜になるまで戦い続ける。戦後は、1946-47年にかけて、シベリアでの日本人捕虜収容所の所長〕。上級中尉は重傷を負う。そこにサーシュカが、途中から逃げて帰ってくる。アーニャはドイツ軍の捕虜になったので、中尉との約束は果たしたのだ。柱に寄りかかるように腰を降ろしたサーシュカは、「逃げてきました。森の中を通る時、奴らが捕虜の話をしていたので、逃げたんです。ここへ来る途中で、近くに爆弾が落ちました。今はつんぼで、何も聞こえません」と説明する(1・2枚目の写真)。
  
  

上級大尉は、最後まで一緒にいた2人に逃げるよう命令し、サーシュカを呼び寄せる。連隊旗を渡して、逃げるように命じる。「聞こえたか?」(1枚目の写真)。何も分からないので、首を振るサーシュカ。その時、ドイツ兵の声が聞こえる。上級大尉は「行け、サーシャ」と命じ、自らは機関銃の弾がなくなるまで撃ち続け、サーシュカからドイツ兵の注意をそらす。そして、ドイツ兵の手榴弾で死亡する。戦争の最後のシーンは、要塞を遠く離れた野原を、サーシュカが1人で歩いている場面。ドイツ軍の捕虜にならなかったので、彼は生き延びることができた。どこまでも逞しい。これほど汚い顔も、他に例がない。
  
  

そして、画面は現代へ。シタデルの中央に造られた巨大なモニュメント(1枚目の写真)の前で、老年のサーシュカが昔を思い出している。そこにサーシュカの孫が寄ってくる(2枚目の写真)。「あの時の私は、お前と同じくらいの歳だった」。
  
  

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